東京地方裁判所 昭和33年(刑わ)810号 判決 1958年11月05日
被告人 織田完 外一名
主文
被告人市原富士哉を懲役一年に、同織田完を懲役八月に処する。
但し本裁判確定の日から三年間いづれも右刑の執行を猶予する。
偽造に係る約束手形一通(昭和三三年証第九九六号の1)は没収する。
訴訟費用は被告人等の連帯負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
第一、被告人織田完は東京都豊島区池袋一丁目八二〇番地スゞ屋製靴販売株式会社に相談役として勤め同会社の借金整理等に従事していたもの、被告人市原富士哉は同都中央区新富町三丁目九番地ゴム製品販売業日生商興株式会社に勤め販売、集金等の業務に従事していたものであるが、織田は経営資金及び生活費等に窮した結果市原をして日生商興株式会社振出の約束手形を偽造させこれを利用して割引名下に他から金員を騙取しようと企て
(一) 昭和三二年八月中旬頃前記スゞ屋製靴販売株式会社に於て「絶対に迷惑をかけないから会社に内緒で金額三〇万円、支払期日一〇月中旬頃の約束手形を一枚作つて貰い度い、金が出来たら幾らか使わせてやるし期日迄には返すから」と申向けて日生商興株式会社名義の約束手形を偽造する様に依頼し因つて金額三〇万円、支払期日昭和三二年一〇月一六日、振出人日生商興株式会社代表取締役鬼原哲二名義の約束手形(主文掲記)一通を偽造させ以て有価証券の偽造を教唆し
(二) 市原は織田の右教唆に基き同年八月二〇日頃同都千代田区丸の内三丁目一番地東京都庁内地下食堂に於て行使の目的を以て擅に約束手形用紙一枚の振出人住所氏名欄下方に取締役社長印と刻した丸型社長印を押捺し、更に同日午後五時頃前記日生商興株式会社事務室に於て、右約束手形用紙にゴム印で金額三〇万円、支払期日昭和三二年一〇月一六日、支払地、振出地共に東京都中央区、支払場所三井銀行新橋支店、振出人東京都中央区新富町三の九日生商興株式会社代表取締役鬼原哲二と押捺し以て日生商興株式会社代表取締役鬼原哲二名義の約束手形一通(主文掲記)を偽造し
(三) 織田は同年八月下旬頃右偽造に係る約束手形一通を同都品川区大井権現町三七七〇番地東健雄方に於て同人に対し恰も真正に成立したものである様に装い電気の仕事を始める資金として必要なのだが割引いて貰い度い旨申向けて交付して行使し因つて同人から割引金名下に金員を騙取しようとしたがその後東健雄から割引を断られた為その目的を遂げず
第二、市原はその後織田から右約束手形の返還を受け同年一〇月一六日頃同都世田谷区東玉川町四七番地三菱銀行桜橋支店に於て預金係員町田正己に対し右約束手形を恰も真正に成立したものの様に装い提出して行使し同人をして其の旨誤信させ同銀行に対する自己名義普通預金口座に入金方を依頼し因て三〇万円の入金の記載をさせて財産上不法の利益を得
第三、市原は
(1) 昭和三二年一一月四日頃前記日生商興株式会社に於て同社代表取締役出村実保管に係るゴム引雨合羽一枚(時価二三五〇円)を窃取し
(2) 同月一四日頃同所に於て前同様出村実保管のゴム引雨合羽一枚(時価前同)を窃取し
たものである。
(証拠の標目)
判示第一関係
一、市川好太郎の司法警察員に対する供述調書
一、出村実の当公廷の証言(但し(一)(二)関係)
一、東健雄の当公廷の証言(但し(二)関係)
一、昭和三三年証第九九六号の一の約束手形の存在
一、市原富士哉の当公廷の証言(但し(一)関係)
一、市原富士哉の司法警察員に対する供述調書三通(但し(一)、(二)、(三)関係)
一、同人の検察官に対する供述調書四通(右同)
一、同人の当公廷の供述
一、和田裕二郎の当公廷の証言
一、黒田末朗の当公廷の証言
判示第二関係(略)
判示第三関係(略)
織田完の弁護人菅井和一は織田は市原から手形の割引を依頼せられて全く偽造と知らずにこれを受取り東健雄に割引を頼んだが結局成功しなかつたに過ぎず従つて偽造を教唆した様な事実はないと主張するので若干の証拠説明を付加することにする。
菅井弁護人が極力主張せんとするところは、市原は本件手形以外にも九枚の約束手形を偽造し内七枚は織田に、内二枚は和田裕二郎に割引を依頼して夫々渡しているのであつて、それはいづれも自分で資金を必要としたからであるが、本件の約束手形もその例に洩れないものであると云うにあり、市原の証言、織田の供述、和田の証言等を綜合すると、成程市原は本件約束手形以外にも九枚の約束手形を偽造し内二枚(三〇万円と二〇万円のもの)を和田裕二郎に又七枚のものを織田に渡したことがあることが窺知せられる。
そこで斯様に大量の約束手形の偽造は一体いかなる理由で行われたかと云うことが問題になるのであるが、これについては二つの考え方が可能なのであつて、一つは市原が自己の必要に因り行つたものと見る見方であり、他は織田、和田等の必要に因り行つたものと見る見方である。菅井弁護人の見方は前者に属し、市原の主張は後者に属するが、第三の可能性としては一部は市原の必要に因り一部は織田、和田の必要に因ると云うことも考え得られるところである。そこで証拠調の全体を通じて考えて見るのに、市原も当時月給は余り多くなく、生活に困つて窃盗罪を犯している位であるから若干の金を必要としたことは十分考え得るところであるけれども、他面市原は本件三〇万円の約束手形を自己の口座に振込んだ後、内二四万円は日生商興の口座に振込んでいることは証拠上顕著であつて、斯様な点から見れば市原自身はそれ程多量の資金を必要とする情況になかつたものとも考え得られるのである。他面織田や和田の側に於ては、当時和田の経営していたすゞや製靴が経営不振で債務を生じ、その棚上げ交渉に織田が当つていた情況にあり、而も和田は織田を通じ東健雄と共同で電気器具の販売を始めることの交渉を始めていた時であるから資金の必要性は十分あつたものと認められる(和田や織田は負債整理は単純な一年間棚上げ案であつたから資金は必要がなかつたし、電気器具の販売も出資者はある見込であつたから資本の必要はなかつたと供述しているけれどもたやすく信用出来ない)し、本件の三〇万円の約束手形を持つて織田が東健雄に割引の交渉に行つた時に「電気器具の販売を始めるについて資金が必要だから割引いてくれ」と云つたことは東健雄の証言に依り明瞭であるから、此の点から考えても矢張り織田や和田の側に靴屋から電気器具の販売業に転業するについて資金を必要としていたものと認めるのが相当である。(菅井弁護人は市原から頼まれたと云つたのでは東が割引いてくれない為にそう云つたに過ぎないと主張し、織田もこれに副う様な供述をしているがこれも信用し難い)
尚本件以外の偽造約束手形中和田に渡した三〇万円と二〇万円のものは、和田が市原から割引を頼まれたものであると和田は証言しているが、この二枚は封筒に入れて和田の留守中和田の店に置いてあつたと云うこと(和田の証言)その後市原は和田の所に来なかつたので一枚は織田に託して市原に返し、一枚は第三者の手に渡つたと云うこと(和田の証言)等から見て、むしろ和田が市原から偽造の融通手形を借りたものと見る方が自然であり、市原が和田に割引を頼んだと云うのは前記の情況事実其の他本件証拠調の結果に反する様に思われる。何故ならば右二通の手形は、本件の手形の授受より後のことであるが、既に本件手形の割引が不成功に終つた後に更に従来一度も割引をしてやつたことのない者に二枚の手形の割引を依頼するのはおかしいし(この点では和田と織田は同一の相手方と見てよい)又手形の割引を依頼した者が依頼後和田の所に来なかつたと云うのも不可思議であり、むしろ前記の様に和田が市原から融通手形を借りたが結局割引が出来なかつたので一枚は織田を通じて返し他は第三者の手中に渡つたものと見るのが自然である。又織田に渡した七枚の中二万円のもの一枚は割引して織田が使つてしまつたこと(織田の供述)その他は割引が出来なかつた為市原に返したと云うことからも矢張り織田の方が融通手形を借りたと見る方が自然で、市原が織田に割引をたのんだと見るのは不自然である。
情況事実が右の様な有様である上に、更に本件の三〇万円の約束手形に絞つて考えて見ると、黒田末朗の証言に依れば、昭和三二年八月頃特許庁地下食堂に於て織田から「日生商興振出の銀行を通る堅い手形があるから割引いてくれ、夜その手形を持つている人が来る」との話がありそれから一、二回行つたが会えず三回目に市原が手形を持つて来たが、その手形は宛名がなく裏書もないもので額面は三〇万円であつた。その時データをメモして銀行に照会して見たら取引は芳しくないと云うので二、三日後和田に電話で断つたと云う事実があつたものと認められるから、本件手形は織田が東健雄の処に持つて行く前に黒田末朗の方にも割引を頼んだことは略確実であるが(この点についての市原の証言は信用出来ない)和田は黒田から他にも手形の割引を受けていたこと、又黒田に本件の約束手形の割引を頼んだ際の前記の模様から見て織田が和田と共同で始めようとしていた電気器具販売業の為に市原から融通手形を借り受けこれを黒田に割引いて貰おうとしたものと見るのが相当である。
以上の様な諸般の情況証拠に徴するときは結局織田は和田と共に始めようとしていた電気器具の販売の仕事の為に市原から融通手形を借受けこれを割引いて資金を作らんとしていたもので、その為に判示第一の(一)の様に約束手形の偽造を教唆し且つそれの偽造であると知り乍ら(三)の様に東健雄に交付行使して割引名下に金員を騙取せんとしたものと認定するのが相当である。従つて弁護人の主張は採用しない。
(法令の適用)
法律に照すに判示所為中第一の(一)は刑法第一六二条第一項第六一条第一項に、第一の(二)は同法第一六二条第一項に、第一の(三)の偽造有価証券行使の点は同法第一六三条第一項に、詐欺未遂の点は同法第二四六条第一項第二五〇条に、第二の偽造有価証券行使の点は同法第一六三条第一項に、詐欺の点は同法第二四六条第一項に、第三の点は同法第二三五条に夫々該当し、有価証券偽造教唆偽造有価証券行使、詐欺未遂、有価証券偽造、同行使、詐欺は夫々順次手段結果の関係にあるので同法第五四条第一項第一〇条を適用して夫々最も重い偽造有価証券行使罪の刑に従い、又市原の所為は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条第一〇条を適用し最も重い偽造有価証券行使罪の刑に併合罪加重した刑期範囲内で被告人市原を懲役一年に、同織田を懲役八月に処し但し示談も出来て居るので同法第二五条第一項を適用して夫々三年間右刑の執行を猶予し主文掲記の約束手形は偽造に係るもので何人の所有も許さないから同法第一九条第一項第三号第二項に則り被告人市原から没収し訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項第一八二条に則り被告人等の連帯負担とする。
よつて主文の通り判決する。
(裁判官 態谷弘)